万願寺とうがらし

「万願寺甘とう」への道①京野菜第1号は「準じるもの」(万願寺とうがらし05)

この記事では、「万願寺甘とう」の名称ができるまでの動きを紹介します。

2つの補助事業が後押し

 昭和の頃は、舞鶴でもまだ「万願寺とうがらし」と呼ばれており、舞鶴市内の西半分だけで消費されるものすごくニッチな野菜でした。
 しかし1982年に京都府内の野菜産地づくりを支援する「中堅産地育成対策事業」が始り、特産野菜を作るための「ハードもの」に補助金が出るようになりました。

 「中堅産地」というのは「30a」くらいの産地を指します。農業県の方から見たら笑ってしまうくらい小規模で意味不明かと思いますが、京都府では真面目にすごい面積だったのです。(さすがに今は違いますが)
 しかし、この小さな産地づくりには無理難題が隠されていました。求められるのが「30aでももうかる産地づくり」だったからです。

 「とても美味しいトマト30a分」を中央市場に出荷しても「それ何?、じゃあそのへんに置いといて、でも単価安いよ」で終ってしまうでしょう。
 そこを何とかして「待ってました、ここに並べてください、単価高いのに売れてるよ」にしなければいけないわけです。

「万願寺とうがらし」が京野菜第1号

 で、出した答えが「京の伝統野菜推し」でした。全国どこへ出しても「競合いないから」です。それはそうでしょう、今と違って京都府以外に「京の伝統野菜」はありませんから。
 しかしそのためには「京の伝統野菜」に特化した支援事業も必要です。これを受けて次の年に「伝統野菜生産振興対策事業」がつくられ合体しました。

 この2つの補助事業の支援を受ける形で、「京の伝統野菜」を積極的に流通に乗せていこうという動きが始まったのです。
 そして、京都市内の有名野菜を押さえて「万願寺とうがらし」がトップバッターをまかされることになりました。(ただしブランド産品としてではありません)

 ではどうして、舞鶴市の地方品種だった「万願寺とうがらし」が「全国展開を見すえた京野菜」の第1号となったのでしょうか。
 舞鶴市の西舞鶴(万願寺地区含む)で長く作られていましたが、自然災害を受けた加佐地域の復興を担う品目として面積が拡大中だったことも選定にプラスとなったようです。
 これはスタートダッシュ時にはある程度の出荷量が必用だったからです。

 さらにこの後は「万願寺とうがらし」のビニールハウスを建てるなら補助金が出るようになり、いっそう面積が増えるとともに、長期栽培に有利なハウス栽培も増えました。

まとめ

 京都府の「京野菜による野菜産地拡大」方針で作られた2つの補助事業に支援され「京の伝統野菜」に追い風が吹きます。そして全国展開第1号に「万願寺とうがらし」が選ばれたことで栽培面積が急増しました。

The path to “Manganji Amato” (1): The first Kyoto vegetable is a “corresponding variety.” (Manganji tōgarashi 05)

“Supported by two subsidy programs established under Kyoto Prefecture’s policy to expand vegetable production areas with ‘Kyoto vegetables,’ a favorable wind is blowing for ‘Kyoto’s traditional vegetables.’
With ‘Manganji pepper’ selected as the first variety for nationwide expansion, its cultivation area has rapidly increased.”