この記事では、「万願寺甘とう」の名称ができるまでの動きを紹介します。

「大きなトウガラシ」の伝道師
1983年から、中央市場に向けた「京野菜・万願寺とうがらし」の売り込みが始まりました。
「万願寺とうがらし」は「京都の伝統野菜(最初の呼称)」の中の「舞鶴市の地方野菜」ですが、JA舞鶴による出荷体制がよく整っていることもあり「京野菜」の一番打者に選ばれました。
ところが売り込み場面からつまずきます。
「何ですかこの細長いピーマン」→「これはトウガラシです」から始まり「こんな大きなシシトウみたことない」→「シシトウ以外にもトウガラシはあるんです」、「トウガラシ辛いから苦手」→「いいえ鷹の爪トウガラシと違い辛くないトウガラシです」と続き、京野菜としての売り文句「肉厚で甘く美味しいですよ」までなかなかたどりけませんでした。
当時はトウガラシといえば辛い鷹の爪、食べるトウガラシはシシトウ一択というのが一般的なイメージでした。
ですから「京野菜」の説明をする前に「こんな大きなトウガラシもある」ことを知ってもらう必要がありました。
京野菜が「京の食文化を全国区にする」流れを切り開いたのは間違いありませんが、最初に切り開いたのは「大きなトウガラシを食べる文化」だったのです。
この功績は大きかったようで、「万願寺とうがらし」が知られていくにつれ、全国に「大きなトウガラシ」の産地が増えていきました。
最初の上得意は岩手県
京都府による広報活動が活発化するのは1990年の「京のふるさと産品協会」発足以降ですから、この頃は認知度はほとんどないも同然でした。
そんななか飛躍的にあつかい量が伸びたところがありました。京都市ではなく首都圏でもなく岩手県です。
なぜ欲しがられているのか調べたところ「いやあいいねっ、焼き肉のタレに入れるとすごく美味しいよ」とのこと。生鮮野菜ではなく加工原料で高く評価されていました。
ピーマンより肉厚なのでうまみがたくさん出たようです。
余談ですが舞鶴の食べ方に「しょうゆ漬け」というのがあり、果実を輪切りにして干し醤油に漬け込む保存食的なものです。最初はピーマンを使っていたのですが、肉厚の「万願寺とうがらし」を使うと味はもちろんかんだ時の食感が良くなるので主役交代となりました。
さらに幸いしたのが、少ない確率とはいうものの出てしまう「辛味果」(「当り」と呼ばれていました)が問題にならなかったことです。
その頃は、まだ在来系統を使用していたので「採種時の株選抜」ではどうしても「辛味果」が発生しました。生鮮野菜ならクレーム処理ものですが「焼肉のタレ」なので気にならなかったようです。
しかし単価が許容範囲内の頃は取引が続きましたが、生鮮野菜としての人気が広まるにつれ単価が引き合わなくなりすたれていったようです。
まとめ
「京野菜」売り込みのトップを飾った「万願寺とうがらし」でしたが、まずやらなければいけなかったのは「京野菜を知ってください」ではなく「こんな大きなトウガラシもある」のPRでした。
そんな中、最初にたくさん買ってくれたのが岩手県の焼肉タレ業者でした。始めは加工野菜としての認識でしたが、生鮮野菜としての認知度も少しずつ上がっていきました。
The path to “Manganji Amato” (2): It all started with yakiniku sauce. (Manganji tōgarashi 06)
Manganji pepper took the lead in promoting “Kyoto vegetables,” but the first priority was not to introduce Kyoto vegetables—it was to showcase, “There is a pepper this big!” Among the initial major buyers was a yakiniku sauce manufacturer in Iwate Prefecture. Initially recognized as a processed vegetable, its awareness as a fresh vegetable gradually increased over time.