万願寺とうがらし

「万願寺甘とう」への道④大正生まれなわけないでしょ(万願寺とうがらし08)

この記事では、「万願寺甘とう」の名称ができるまでの動きを紹介します。

「京の伝統野菜」の定義づけ

 1987年、京都府により「京の伝統野菜」というネーミングと定義づけが行われ「18品目38種」(準ずるものを加えると18品目41種)が選定されました。なお、ブランド化が始まるのはまだ先の1989年です。
 この辺のいきさつは長くなる内容なので別の記事で紹介したいと思います。

 このとき「万願寺とうがらし」が「京の伝統野菜に準じるもの」に位置づけられました。
 その理由は「京の伝統野菜」の定義の一つに「明治以前の導入栽培の歴史を有する」があり「万願寺とうがらし」の来歴が「京都府の研究機関が収集した情報」では「大正時代までしかさかのぼれない」からでした。

 その情報とは「大正末期から昭和初期に伏見甘群の在来系とベル群のカリフォルニア・ワンダー系を交配してできた」で、ネットによくある来歴説明のもとになっています。
 しかし最近は「伏見とうがらしと日本海経由で伝わった古いアジア系品種などとの自然交雑から生まれた」など面白い進化をみせています。
 ただし「これで確定」とはいかないと思っているので、違う考え方について別の記事で紹介したいと思っています。

露地からハウスへ

 「京の伝統野菜」が定義づけられたことで、「京都府の政策対象として明確な位置づけ」ができ、「宣伝・販売の理論的根拠が強化」され、現地の産地づくりも加速化していきました。

 また「京の伝統野菜」専用出荷箱が使用され始めたのもこの頃で、統一感のあるデザインが作成されました。
 今では良くも悪くもおなじみの「勘亭流フォントのロゴ+変なイラスト+格子模様」が登場したのはこの時です。
 勘亭流フォントは当時珍しがられましたが、真相は「使用料がタダ」だったからです。
 また、変なイラストなのは「当時の果形はあんなもの」だったからで、このあと系統選抜に力を入れ「良い果形」を求めていくことになります。

まとめ

 「京の伝統野菜」の定義づけが行われ「万願寺とうがらし」は来歴を江戸時代までさかのぼれないため「京の伝統野菜に準じるもの」と位置づけられました。
 この定義づけにより、政策対象として明確化でき、売り文句の理論的根拠が強化されました。さらに「京の伝統野菜」専用出荷箱も作成され、産地づくりが加速化していきました。

The path to “Manganji Amato” (4): No way it was born in the Taisho era. (Manganji tōgarashi 08)

The definition of “Kyoto’s Traditional Vegetables” was established, and since the history of “Manganji Pepper” cannot be traced back to the Edo period, it was positioned as a vegetable that is “equivalent to Kyoto’s Traditional Vegetables.”
With this definition, it became clearly recognized as a policy target, strengthening the theoretical basis for its marketing appeal. Furthermore, a dedicated shipping box for “Kyoto’s Traditional Vegetables” was created, accelerating the development of its production areas.